2016年 23回リサイタル
リサイタル批評
前中榮子S 日本歌曲を中心に活動を続けている前中榮子が、花岡千春の名ピアノを得て充実の午后、開場もほぼ満席。
前半は日本歌曲の大御所たち、即ち瀧廉太郎(秋の月)、信時潔(北秋の)、山田耕筰(曼珠沙華)、橋本國彦(お六娘)さらに山田一雄(風の又三郎))と言う献立、どれもいいが特に(曼珠沙華)の哀感、(お六娘)の瓢逸さが見事。さらに中田喜直(あの夏でした)、朝岡真木子(私が一番きれいだったとき)と続いたが、特に後者は茨木のり子の詩を前中が見事に表現、会場は幸福な共感。
第2部は、谷川俊太郎詩・林光作曲の2作品。まず(四つの夕暮れの歌)。(夕暮れは大きな書物だ)で前中は、自身夕暮れに佇かのように、静かに歌い始めたが次の第2節、有名な(誰があかりを消すのだろう)での 自問自答は、花岡の精緻なピアノと共に強い訴えを持ち、後の2節も心に染みた。最後に置かれた(ほうすけのひよこ)も良く、ほうすけへの愛と親しみが会場に満ちた。
(10月8日・王子ホール) 三善清達 (音楽の友)12月号掲載
前中榮子 第23回ソプラノリサイタル
「日本の歌をうたうー愛と平和への祈りー」という副題は前中が永続して追求しているテーマでもある。今回は中田喜直(矢崎節夫・詩)「あの夏でした」と朝岡真木子(茨木のり子・詩)「私が一番きれいだったとき」が平和を願う強い説得力を持って歌われた。
前中の歌唱にはたゆみない研鑚が秘められているのだろうが、その苦闘の痕を微塵も感じさせない滑らかさと明確な発語による生き生きとした表情がある。「秋の月」「北秋の」「曼珠沙華」のような古典の凛とした佇まいや「風の又三郎」(山田一雄)、「お六娘」(橋本國彦)のドラマと叙情の匙加減はベテランの味わい。
後半の林光作品では「四つの夕暮れの歌」と「ほうすけのひよこ」(共に谷川俊太郎・詩)という性格の異なる二作を、片や深いリリシズム、一方は童話物語の語り手として見事に描き分けていたのは特筆に値する。この歌たちを温かく包み込み花岡千春のピアノが錦上花を添えていた。
(10月8日、王子ホール) 保延裕史 (音楽現代)12月号掲載